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2009年4月

2009年4月30日 (木)

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  「星」といえば何を思い浮かべるだろう。  一般的には、夜空に見える天体と答える人が圧倒的に多いだろうか。  ただ、星といってもさまざま。暮らしの中にもいろんな星がある  広辞苑によると、星は光り輝くもののたとえに使われる。   「甲子園の星」「希望の星」といった具合に。  相撲でおなじみの「白星」「黒星」は勝敗、「星を挙げる」は警察の隠語で容疑者摘発という意味である。  星は食の世界でも幅を利かせている。  料理店の格付け本「ミシュランガイド」の星が、その代表だろう。  星の数による美食ランキングで、最高なら「三つ星レストラン」と注目される。  最近は家電でも星が注目されている。  きっかけは経済対策に盛り込まれたエコポイント。  省エネ家電への切り替え支援で、省エネ性能を示す星の数が四個以上のエアコン、冷蔵庫などを買えば、別の省エネ商品購入に使えるポイントがつくからだ。  財源はさておき、そんなお得感を演出したポイント制度も含めた二〇〇九年度補正予算案が提出された。  麻生太郎首相は景気浮揚への第四弾ロケットとの思いを込め、早期成立を訴えている。  首相の心中は、このロケットの打ち上げで「星を稼ぎたい」ところだろう・・・。

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2009年4月28日 (火)

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 芥川龍之介の『邪宗門』は大正七(一九一八)年十月から十二月にかけ、大阪の新聞に連載された。  怪しげな法師に、貴族の若者が立ち向かうストーリー。  アクションありファンタジーありと現代でも通用しそうだが、残念ながら未完に終わっている。  芥川が筆を置いたのは構想に行き詰まったためとも言われるが、スペイン風邪で体調を崩したとの説も有力だ。  同年十一月、友人に寝こんでいることを伝える手紙を送っている。  翌年三月には、この風邪で実の父を亡くしてもいる。  スペイン風邪は二十世紀以降、最初のインフルエンザ・パンデミック(世界的大流行)とされる。  その後、アジア風邪(一九五七-五八)と香港風邪(一九六八-六九)が起きているが、ここ四十年は発生しておらず、いずれあると世界保健機関(WHO)はじめ各国が警戒を強めていた。  メキシコで発生した豚インフルエンザの人への大量感染で、死者が百人を超えた。  米国、カナダ、スペインでも感染が確認されている。  鳥インフルエンザにばかり気を取られ、豚への警戒がなおざりになっていたようで心配が募る。  もっとも、これが今世紀初のパンデミックになるのか、今のところ定かではなく、冷静な対応が必要なのは言うまでもない。  ただ、相手は邪悪なウイルスである。  総力を挙げて立ち向かい、なんとしても封じ込めたい。

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2009年4月27日 (月)

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 人はいろんな物事や気分を色に置き換えて言い表すことがある。  フランスの詩人、ランボオは、アルファベットの母音「O」が持つイメージは「青」がふさわしいとして詩につづった。  その詩で「地上と、天上とをつらぬく静謐(しずけさ)」「天使の眼(め)から投げおろす蛍光の光の矢」などと表現している。  静かで落ち着いた青の感じがよく醸し出されているようだ。  逆に「I」の「赤」は「緋(ひ)の装束、喀血(かっけつ)、または腹立ち…」と生々しい(金子光晴訳『ランボオ詩集』)。  自殺や犯罪抑止を狙ってJR西日本や各地の団地、駅前駐輪場に、青色照明灯を設置する動きが進んでいる。  関西の踏切では二年弱の間に三十五件もの飛び込み自殺や事故があったが、取り付けた平成十八年十二月からは二件に激減しているという。  奈良県の団地などでも犯罪が減って効果は著しい。  富山県内でも射水、高岡、砺波市の住宅地や富山、黒部市の駅前駐輪場などに設けられ、住民から「犯罪が減った」という声が出ている。  色彩心理を研究するカウンセラーは「赤やオレンジは人を興奮させ、自殺や罪を犯したいという激情を後押しする傾向がある」と説明する。  ところが、青は「ちょっと待て」と心を落ち着かせ、立ち止まらせる働きがあるという。  ランボオの詩にある「天使」が放つ優しい「光の矢」が、軽挙妄動を思いとどまらせるのだろう。

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2009年4月26日 (日)

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 歌手吉田拓郎さん(63)の約六年ぶりのアルバム『午前中に…』が、チャートで初登場六位にランクインした。  トップテン入りの最年長記録更新とか。全曲書き下ろしといい、衰えぬ創作意欲にはただただ驚く。  還暦を過ぎたミュージシャンたちの健在ぶりは海外も同じだ。  音楽評論家の中山康樹さんは、近著『ミック・ジャガーは六十歳で何を歌ったか』で、時代を生き延びてしまったスターたちの現在の姿を書いている。  取り上げたのはポール・マッカートニーにリンゴ・スター、ボブ・ディラン、シルヴィー・バルタンら十四人。  誰もが聴いたことがある名曲を歌い、世界的な人気を博し、一時代を築いたミュージシャンばかりだ。  中山さんによれば年老いたスターたちは、自分が自分の全盛時代を超えられないことを承知している。  大半のファンが、新曲より昔のヒット曲を聴きたがることも理解している。  しかし、過去と折り合いをつけ、あきらめることなく妥協もせずに、今の感性で新しい曲を書き続ける。  「彼らは過去の自分と闘い、勝ち目がないことを知りながら、それでも、闘うことを放棄しようとしない」。  青春時代に夢中になった身としては、かつてのアイドルの生き様は十分に刺激的だ。  自分も老け込んでいる場合じゃないと気付かされる。  口座には一万二千円が振り込まれていたし、「人生の先輩方」の新譜でも買ってみよう。  明日の自分が見えてくるかもしれない。

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2009年4月25日 (土)

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 ゴールデンウイークが始まった。  五月六日までだから十二日間。  とはいえ、この間には平日もある。  昨年と違うのは、曜日の並びだけではない。  今年は、定額給付金の支給もある。  県内全市町村で手続きが行われているというから、既に給付を受けた人も多いだろう。  まだ給付されていなくても、それを見込んで行楽の予定を立てている人もいるのではないだろうか。  その定額給付金の使い道について民間調査会社「マクロミル」(東京)がインターネットで調査したところ、「外食」が最も多かったそうだ。  中でも焼き肉とすしが人気といい、「プチ(ささやかな)ぜいたく」がしたいのだという。  使い道の三番目は「旅行」だ。  先月から、高速道路の通行料金が大幅に割引される制度が始まっている。  土、日曜と祝日、ETC車載器を付けていれば、地方ならどこまで走っても上限千円で済む。  県外へおいしいものでも食べに行こうか、ということらしい。  もっとも、二番目の使い道には「普段の生活費の補てん」が挙がっている。  なかなか上向かない経済に先行き不安が募り、浪費を避けたい気持ちもあるのだろう。  そういえば定額給付金の目的は当初、生活支援と言われていた。

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2009年4月24日 (金)

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 ぼったくりバーみたい。  大阪府の橋下徹知事の例え話は的を射ている。  ネオン街で理不尽な請求書を突き付けられた苦い経験があるのだろうか。  お通し代もビールの本数も、サービス料の内訳もない。  こわもての店員が出す請求書は、財布を振っても払いようもない「ウン万円也」の数字だけ。  国が直轄する公共事業の負担金で、地方の反乱が広がっている。  反発が特に強いのが、満足な説明もないまま、自治体に突き付けられる億単位の追加負担だ。  事業が長引き、建設費が倍増するダムなどの例も多い。  北陸新幹線の負担金も理屈は同じだ。  突然、二百二十億円も追加請求されれば、泉田知事でなくとも「待った」をかけたくなる。  思い出すのは、二〇〇三年度の県予算の編成だ。  この年、本県は財政健全化債を二十八年ぶりに発行した。  財政課は五年間で五百六十億円の収支不足が生じると試算、「聖域」だった団体運営費補助金に手をつけた。  福祉やボランティア団体、スポーツ組織など街づくりの最前線に対する補助カットだ。  財政課職員が疲れ切った表情で漏らした言葉を覚えている。  「百六十七団体の皆さんに怒られ、泣かれもしました。そこまでして浮かせた金が二千万円にもならない」。  三位一体改革や合併を通じ、県や市町村は経験したこともない経費削減を迫られてきた。  税金一円への思いが、国と地方でいつしか広がってしまったようだ。  負担金論議には、我慢の限界を超えた地方の怒りが見え隠れしている。

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2009年4月23日 (木)

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 NPO 「アジアの新しい風」 (上高子事務局長=丹波市出身) が北京の大学生を対象に実施中の読書感想文コンテストで、 漱石の 「三四郎」 を課題図書にしていることから、 審査員たちで 「三四郎ツアー」 をした。  小説の舞台は東大と周辺の根津、 千駄木、 湯島など、 普段あまり馴染みのない所。  同大学院に留学中の女子学生、 Kさんにガイドをしてもらい、 図書館や安田講堂、 三四郎池などをまわった。  池は、 三四郎がマドンナの美禰子を見初めた場所として有名になったが、 周りじゅう欝蒼とした木々が生い茂り、 小説の頃のようなやや開けたイメージはなくなっている。  しかし図書館は手続きをすれば誰でも入れるし、 構内を犬を連れて散歩する人や、 芝生で弁当を広げる家族連れもいて、「東大」から何となく連想するいかめしい雰囲気は全くない。   学生食堂で390円の唐辛子入り 「赤門ラーメン」 を食べた。  「東大はCO2削減の先頭に立ちます」 とポスターが張られ、 箸は塗り箸。  大学を後に、つつじの咲き乱れる根津神社でもらった 「かいわいマップ」には、漱石、寺田寅彦はもとより、 鴎外、荷風、佐藤春夫などなどの住居跡がきら星のごとくちらばっている。   「春日通り」 由来の春日局の墓まであって、 上野の不忍池までたどりつくまでには、軽く7、8キロ歩いていた。

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2009年4月22日 (水)

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 くすぐられると笑ってしまうのはなぜなのだろうか。  突然こちょこちょされ、頂点に達した緊張を笑いで一気に解放しているのだと聞いたことがある。  しかも相手が安心できる人でないと、笑いは出ないらしい。  その笑いが医療の分野で関心を集める。  免疫力の向上やストレス軽減につながるとの視点で研究が進められている。  医療の現場に、ユニークな形で笑いを持ち込んだのが、映画「パッチ・アダムス」のモデルで、実在する米国人医師ハンター・アダムスさんだ。  パッチは、赤い鼻のピエロ姿で入院患者の気持ちをほぐす。  映画の公開は十年以上も前のことだが、パッチの活動は「ホスピタル・クラウン」などの名で、日本でも徐々に広がりつつある。  クラウンは道化役者のことだ。  映画では名優ロビン・ウィリアムスが演じた。  パッチは自身の自殺癖のため、入院した病院で、相手と同じ気持ちに立った優しい態度で部屋の患者を妄想から救う。  人を救うことで自分も救われたことに気付く。  退院したパッチは医学の道を歩む。  そのハンター・アダムスさんが五月、姫路にやってくる。  招いたのは、姫路市内の病院で麻酔科医を務める大城宜哲(よしてつ)さんらのグループだ。  大城さんは勤務医をしていたころ、宿直勤務の連続などで疲れ果て、研究者の道を歩もうと渡米。  パッチの映画を見たことをきっかけにハンターさんと出会い、以来、二人は交流を深めてきた。  大城さんは、海外でクラウンを二回体験した。  痛みを緩和する専門医として、その効果を実感したという。  笑うことの大切さ。  それは文化や民族を超えたものだ。

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2009年4月21日 (火)

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 隣家の車庫に、今年もツバメが帰ってきた。  傷んでいた巣もいつの間にか補修されている。  かわいいヒナの姿が見られる日もそう遠くないはずだ。  蛇やイタチからヒナを守るためツバメは建物などに営巣する。  都会では近年、タクシー会社のガレージなど人や車の出入りが特に激しい場所に巣をかける傾向があるそうだ。  カラスが増えたせいらしい。  家族のきずなを感じさせ、虫を食べてくれるツバメを人間も愛してきた。  家並みを縫って飛ぶ姿は人と自然の共生を象徴しているようでうれしくなる。  桜の開花と同様にツバメの飛来も早まっているようだ。  温暖化の影響がここにもということか。  うまく共存しているようでも、刻み込まれた生物としてのリズムを乱しているなら人間は罪深い。  昔に比べ、ツバメの数も減ったように思う。

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2009年4月20日 (月)

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 4月の青空には風船が似合う。  そよ風に乗って高く舞い上がる風船は、いったいどこまで飛んでいくのやら、と想像を巡らすのも楽しい。  風船が日本にお目見えしたのは明治元年、と物の本にある。  中国商人が横浜で売り出した。  数年後に東京の物理教師が赤ゴムの小球に水素ガスを詰めて飛ばしたのが国産風船の最初とされる。  文明開化の風に乗ってやってきた風船は、空に舞い上がるさまで子どもたちの夢に羽をつけた。  大人たちは、太平洋戦争中に米国本土攻撃用の「風船爆弾」を飛ばした。  爆弾をつるした和紙製気球を偏西風に乗せたのだ。  風船は戦争も平和も映し出す。  のどかな光景のひとつに「手紙付きの風船」がある。  子どもたちが夢を書いた手紙を植物の種などを添えて飛ばす。  遠くで拾って読んだ人が児童らと交流を始めるのも今ごろが多い。  風船は春の物語もはぐくむ。  朝鮮半島では季節を問わず韓国から北朝鮮へ飛んでいく巨大風船が見られるという。  北朝鮮の民衆向けの数万枚のビラ付き。  脱北者らによる民間団体やキリスト教信者の人権団体などが、金正日総書記の私生活や健康悪化などを伝えようとしてきた。  先日は「ミサイル発射に要した費用で国民のための食糧がこれだけ買えた」と刷って飛ばしたそうだ。  かの国で手にした人がどう思うかは知るよしもない。  「手紙と種」のように、春の物語が芽吹くきっかけになる日は来るのだろうか。

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2009年4月19日 (日)

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 山々の緑と川や海の青さ。  淡く、美しい色合いの国土に引き込まれた。  新緑の季節を迎えた今の風景ではない。  200年ほど前に伊能忠敬が作った日本地図である。  全国測量の旅には絵師も同行したそうだ。  東京・深川で公開された「伊能図」は、原画を元に最新のデジタル技術で彩色復元した。  地図の精密さに「色」が加わり、さらに魅力を増す。  体育館の床一面の巨大な地図には、詳細な地名が丹念に記されている。  「大隅郡櫻嶋」など毛筆の旧字体が新鮮に映る。  城や港の記号一つ一つが17年間に及ぶ地道な努力の結晶である。  地図上を感服しつつ歩き、歴史的偉業を体感した。  今回の展示は全国巡回展の第1弾として開かれた。  忠敬が商いの道を退き天文学を学んだのは50歳、55歳から地図作りに励んだことは有名だ。  充実した「第二の人生」とともに、知られていない新たな魅力も紹介する。  「いろいろな工夫をして測量に当たった20代の若者たちを束ねた」と忠敬研究会の渡辺一郎名誉代表は話す。  人心掌握は今に通じるかもしれない。  種子・屋久まで足を延ばした鹿児島での公開を、ぜひ実現させたいと渡辺代表は意気込む。  忠敬が測量に旅立ったのは1800年、閏(うるう)4月19日。  この日は「地図の日」「最初の一歩の日」とされる。  鮮やかな終生現役の足跡をたどる巡回展の合言葉は「忠敬に学ぼう、続こう」だ。

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2009年4月18日 (土)

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 ノンフィクション作家の上坂冬子さんが亡くなった。  精力的な取材に基づく歴史検証に定評があり、22年前には著書「奄美の原爆乙女」で南の島に埋もれていた被爆者たちに光を当てた。  戦時中、奄美の女性たちは挺身(ていしん)隊として長崎の軍需工場に送られた。  1200人ともいわれるそのほとんどが大島紬の織り工。  生産制限で職を失った娘たちの手先の器用さが重宝された。  笠利イモコさん(81)もその一人だ。  魚雷工場で被爆し、同郷の仲間を多数亡くした。  腕に刺さったままのガラス片を40年後に手術で取り出したが「今も背中に残っている。でも小さすぎて取れない」と話す。  笠利さんらの体験を、奄美市の金久中学校生徒会がDVDにまとめた。  修学旅行で長崎原爆資料館を訪れて衝撃を受け、昨年夏から核兵器廃絶を求める署名活動や戦争経験者の聞き取りなどをしてきた。  8カ月に及ぶ平和活動の、いわば集大成だ。  DVDには、時に涙を浮かべながら語る5人の証言が収められている。  「テレビで聞いてはいても、生の話は想像できない世界だった。あらためて戦争の怖さや悲しさを知った」と生徒たちは口をそろえる。  生徒会はDVDの無料貸し出しを始めた。  「地球上から戦争をなくすためにも多くの人に見てほしい」。  原爆乙女の声を風化させないという生徒たちの願いは、上坂さんの思いにも通じるはずだ。

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2009年4月17日 (金)

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 日本人が日本語にさよならしようとしたことがある。  本当の話だ。  明治維新の前、幕臣前島密が将軍に漢字廃止を建言したことに始まるという(高島俊男著「漢字と日本人」文春新書)  明治時代には英語を国語に採用しようと提唱、主張する人たちが出てきた。  文部大臣も含まれる。  西洋に倣え、の1つだった。  日本語を捨てないまでも難解な漢字は廃止しようという声は、昭和の敗戦直後にもあった。  自国民にも評判が悪かった、と歴史が教える漢字の復権に一役買ったのが「漢検」、漢字能力検定だ。  京都の日本漢字能力検定協会が1975年に始めた。  年間の受検者は300万人に近づいていた。  利益も膨らんだ。  膨らませすぎた。  辞任に追い込まれた理事長と副理事長の親子には、協会の「私物化」も指摘される。  税法上の優遇措置を受ける公益法人としてあるまじき事の数々。  「公益」という漢字の意味を理解する能力に欠けていたとは、皮肉がすぎる。  漢字復権を目指した人にしてそうだから、世間一般は推して知るべし。  たとえば選挙チラシに「完全無所属」と書いて千葉県知事選に勝ち、看板に偽りありと刑事告発された森田健作氏の場合は? などと疑問符の付く事例を昨日今日の新聞から拾うだけでもきりがない。  年末恒例の「今年の漢字」について4月にうんぬんすると笑われるだろうか。  昨年と同じ「変」が早くも浮かぶ今の日本はいよいよ変だ。

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2009年4月16日 (木)

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 不況になると釣り人が増えるという説がある。  さほど費用がかからず釣果があれば食費が浮くから、趣味と実益を兼ね備えている。  景気の落ち込みが深刻な米国でも、釣り人気が高まっていると外電が伝えていた。  しばらくすると、キス釣りのシーズンに入る。  天気が良い日なら、船釣りに出掛けるのもいい。  キスを狙ってのんびりさおを延ばすと、別の魚がかかったりする。  メゴチならぽいと海に捨てるが、マゴチやカレイだと「外道」であってもちょっとうれしくなる。  漁業の世界では、そんな外道が捕れることを「混獲」というそうだ。  世界自然保護基金の研究グループがきのう、混獲の量が世界で年に三千八百万トンを超え全漁獲量の約40パーセントを占める、との調査結果を発表した。  その混獲物の多くは海に廃棄されているらしい。  中でも「フカヒレ」となるサメを狙った底引き網漁は混獲が多く、漁獲の90パーセント超が捨てられているそうだ。  日本の混獲率は世界平均より低いが、それでも推定で13パーセントあるという。  定置網などでほとんどの魚を水揚げする県内漁業からみれば、もったいない話だ。  釣りと違って漁業の世界は効率が優先され、思わぬ外道を喜ぶ余裕などないかもしれないが、「大量の混獲は漁業資源減少の一因」との指摘もある。  網の改良で混獲を減らせないものか。  混獲物を食料に回すことも考えてみてはどうだろうか。

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2009年4月15日 (水)

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  「水の中指やはらかく苺(いちご)洗ふ」大橋敦子。  荒々しく扱うと、傷つけてしまいそうなイチゴ。  その繊細さがよく表れた俳句だ。  今では一年中、店頭に並ぶイチゴだが、本来は夏の季語である。  メロンやスイカも、これからおいしい季節を迎える。  その果物に、ちょっとした異変が起きている。  ビニールハウスや果樹園で、果物や野菜の受粉を仲介するミツバチが全国二十一都県で不足しているという。  農水省の調査で分かった。  四国では香川県が足りないようだ。  ミツバチの購入価格が四、五割上昇したとの報告もある。  ミツバチの盗難事件まで起きているというから、事態は相当深刻だ。  日本では主にオーストラリアから働きバチを産む女王バチを輸入していた。  ハチの病気が流行したため、同国からの輸入を一昨年秋からストップ。  さらに北海道や東北地方で働きバチの大量死が発生したことなどが、ミツバチ不足の原因とみられる。  受粉が滞ると果物の収穫が減り、価格も高騰しかねない。  人工的に花粉をつける方法もあるが、農家の大きな負担になる。  都道府県間でミツバチを融通し合うといっても限界があるだろう。  一日も早く女王バチの輸入先を開拓してほしいものである。  消費者が何げなく口にしている果物も、生産者には思わぬ苦労があるようだ。  今回のミツバチ不足に、そんなことを教わった。

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2009年4月14日 (火)

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 今年も彼らがやって来た。  おとといの夜のことだった。  疲れた体を湯船で癒やしていたときに気づいた。  「ゲコゲコ、ゲコゲコ」。  裏の田んぼで鳴くカエルたちのことである。  しばし耳を傾けた。  ピタッと止まったかと思ったら、一匹が鳴き、それにつられてもう一匹が鳴く。  田んぼに張られた水がさぞかし心地よいのだろう。  気の向くままに、合唱の輪を広げたり、すぼめたりしていた。  翌朝、窓を開けて、その水田を見ると、苗が小さな緑の顔をのぞかせていた。  遠くの山の緑も輝きを増している。  苗たちもこれから陽光を全身に浴び、黄金色の立派な稲へと成長していくのだろう。  ところで、キャンパスからやって来たフレッシュマンたちは、企業という田んぼの水に慣れるのに悪戦苦闘といったところか。  取引先の人の顔と名前を覚え切れず、同じ人に名刺を差し出す新入社員もいるかもしれない。  しかも、カエルのいる田んぼと違ってこちらの水は心地よくない。  「百年に一度」といわれる経済危機の真っただ中。  企業を取り巻く環境は厳しいが、そこは若さを武器に乗り切り、成長していってほしいものである。  さて、米大リーグという水田に目を向けると、日本から渡って行ったビッグなカエルが跳びはねた。  徳島市出身の川上憲伸投手の初登板、初勝利。  こちらの成長も大きな楽しみである。

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2009年4月12日 (日)

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  山々は生きている。   秋は「山粧(よそお)う」、冬は「山眠る」と擬人法で日本人は表現してきた。   「山笑う」は木々がウフフと芽吹く春の季語。〈故郷やどちらを見ても山笑ふ〉(正岡子規)   春は登山家でなくてもリュックを背に出かけたくなる。   作家の深田久弥さんが「日本百名山」を雑誌に連載し始めたのはちょうど半世紀前のこと。   単行本の後記に深田さんはこう書いた。   「日本人ほど山を崇(たっと)び山に親しんだ国民は、世界に類がない」   尊び親しむ心が荒(すさ)んできたのだろうか。   日本山岳会の報告書「山の環境意識調査」を読んでの感想だ。   ゴミ捨てや高山植物の盗掘などを嘆く人が多かった。   山は「泣いている」らしい。   調査は昨年行われ、山岳会会員の3割強約1900人が回答した。   問題の根っこには「オーバーユース」があるという。   「過剰利用」。   有名な山に登る人の集中を指す。   混雑すればゴミなどもおのずから増える。   トイレの問題も含め、環境問題が深刻な山域では何らかの入山規制を求める人が7割を超えた。   姿の美しさで世界に知られる富士山の世界遺産への道が険しい「悲しい現実」を憂える声もあった。   諸問題の背景には登山の大衆化がある。   山を楽しむ人が増えるのは山国の必然といってもいい。   尊ぶ気持ちが伴っていれば嘆く声も憂える声も聞かずに済む。   日本に「海の日」があるのに「山の日」がないのはおかしい、という声も聞かれる。

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2009年4月11日 (土)

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 桜並木を見上げると、花の間から丸い月がのぞいた。  花と月の競演に華やいだ気分になった。  一枚の月の写真に世界が驚嘆したのは五十年前、「世紀のご成婚」に列島が沸いた年のことだ。  旧ソ連のロケット「ルナ3号」のカメラが、闇に包まれていた月の裏側を初めてとらえた。  まだ米ソが宇宙競争にしのぎを削っていた時代だった。  月は地球の四分の一の大きさで、重さは八十分の一、引力は地球の六分の一である。  月にも、誕生したときは空気があったそうだが、引力が小さいので宇宙に飛び散ってしまった。  子どものころ、科学雑誌でそんな話を読んだ覚えがある。  国際宇宙ステーションの若田光一さんのブログに目を通しながら、そのことを思い出した。  初めて休みを取った若田さんは散髪に挑戦した。  無重力では刈った髪の毛が飛び散るので、バリカンの先には掃除機が取り付けられている。  鏡の前でバリカンを操る若田さんの写真に、しばし見入った。  その国際宇宙ステーションを観測する会が各地で催されている。  各国の施設がつながるステーションは、サッカーのグラウンドぐらいの大きさで、夜明け前や日暮れ時に肉眼でも光跡を見ることができるらしい。  時刻や方角の情報を確認して、空を見上げてみたい。  世界がルナ3号の写真に息をのんでから半世紀、宇宙開発は競争から協力の時代へと移っている。  散髪する若田さんの姿が、そのことを象徴している。

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2009年4月10日 (金)

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 英語に「救命ボートの倫理」という恐ろしい言葉がある。  辞書によれば、人が多すぎてボートが沈む場合には、誰かを海に放り込んでも致し方ない、という考え方から「緊急避難的倫理」を意味する。  政府・与党が合意した追加経済対策も、あるいは、日本経済の救命ボートとするものだろうか。  内容で一等目を引くのは自動車の買い替え助成制度だ。  一定基準を満たせば、乗用車で二十五万円の助成が受けられるらしい。  販売不振に苦しむ自動車業界の懇願に応えた形だ。  他国にも先例はあるようだが、恩恵のない他産業や車を買う必要がない人は不満だろう。  税金の使い方としてはやはり不公平感は否めない。  大体、十五兆円という空前の規模の追加経済対策自体、十兆円は国債の発行で賄う。  後払いの大盤振る舞いで、また借金がどんと増えるのである。  それもこれも、ふだんなら考えられないことだが、危急の時は原則にはこだわっていられない、という論理が働いているのだろう。  危機の深さも対策の必要性も分かる。  どこかの諺(ことわざ)が言うように、濡(ぬ)れるのを恐れる者は鱒(ます)が捕れないのも確かだろう。  無論、実際にやるとなれば、一定の効果はあるだろうし、そう願いもする。  しかし、こうした原則無視の、いわば「緊急避難的論理」によって、何か大事なものが海に放り込まれることになったりはしないだろうか…。  そんな心配も抱いてしまう。

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2009年4月 9日 (木)

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 流れるようなモーツァルトの曲から幻想的な現代音楽まで、多彩な音色と奏法を堪能した。  先週末まで十日余りにわたって神戸市内で開かれた「第七回神戸国際フルートコンクール」。  あまり知られていないが、フルートの世界四大コンクールの一つとして国際的な評価も高い。  一九八五年以降、四年ごとに開催され、いまや海外からの応募が国内をはるかに上回る。  今回は三十六カ国・地域の二百三十二人の応募から、録音審査を通過した五十六人が第一次審査に臨んだ。  他の国際コンクール上位入賞者らが顔をそろえ、これまで以上に激しい争いとなった。  これほど国際的になったのは、歴代の入賞者らが世界的に活躍の場を広げているからだ。  第二回で優勝した当時十九歳の無名の新人、エマニュエル・パユは、若くして独・ベルリン・フィルの首席奏者を務めるなど第一人者となった。  受付を担当するボランティアや、一部の出場者をホームステイで受け入れるなど陰で支える人たちの存在も大きい。  神戸育ちでコンクールの生みの親でもある東京芸大の金昌国(きんしょうこく)教授は「阪神・淡路大震災後も途切れず続けたことが国際的な評価につながった」と話す。  震災後、被災者を励ますコンサートに癒やされたという人は少なくない。  今、不況の影響で音楽界にも逆風が吹く。  運営する神戸市の財政事情も厳しい。  そんな中だからこそ、人を癒やし動かす音楽の力を信じたい。

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2009年4月 7日 (火)

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  「私には夢がある」とキング牧師は半世紀近く前に演説した。   「子どもたちが肌の色の違いによってではなく、中身で評価される国に住める日が必ず来る」という夢は、現実になった。  夢を体現したオバマ米大統領は5日、訪問先のチェコで演説し、夢を語った。   「核のない世界を」。  外交の柱にしていくという。  世界で唯一、核を使用した国としての道義的責任にも触れている。  演説した日に極東では怪しげな物体が日本を飛び越えた。  飛ばした国は弾頭ミサイル技術への自信を深め、その脅威に米国もさらされることになった。  米大統領の演説は地球上にまた1つ加わった脅威にも向けられる。  世界にある核兵器の効果を全部確認しようとしたら地球が何個も要る。  21世紀を人間の愚かさを証明する世紀にしてはならない。  核廃絶は「私が生きている間は無理だろう」と言うオバマ氏は「しかし」と続けた。  「見果てぬ夢ではない」。  キング牧師が夢を語った時ははかない夢物語かと思われた。  オバマ氏の夢も「夢のまた夢」と今は誰だって思う。  困難さを数え上げてばかりいたのでは何も変わらない。  最初の一歩を省いて達成される夢など存在しない。  50年後か100年後か、いつになるかは分からないが、「核のない世界」を実現したあかつきには、かつて米国の指導者が演説したのがすべての始まりだった、と未来の地球人が2009年を振り返る時が必ず来る。  いや、絶対に来て欲しいと誰もが願っていることだ。

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2009年4月 6日 (月)

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  「国あっての君主であり、民あっての国である。その民から搾り上げて君主が贅沢(ぜいたく)をするのは、ちょうど自分の肉を切り裂いて食うようなものだ」。  中国史上でも名君の誉れ高い唐王朝、太宗の述懐である(村山孚(まこと)編訳『十八史略』)。  君主の権力は絶大で、莫大(ばくだい)な富を集め、人々の生殺与奪権も握る。  だからこそ悪政を行えば、民衆はものすごい力で反旗を翻す。  そこで、太宗は権力の大きさと裏腹をなす、権力のもろさ、民衆の力などを知り、自己規制に努めた。  そんな謙虚な気持ちはあるのだろうか。  北朝鮮が予告通り「人工衛星打ち上げ」として「テポドン2号」と同性能とみられる長距離弾道ミサイルを発射した。  失敗して日本領域内に落ち惨事にならなかったのは幸いだったが、日本の頭上を飛び、不快極まりない。  生活物資にも困窮する自国民を顧みず、三億-五億ドルの巨費を投じた。  何より金正日総書記の指導体制強化が狙いだろう。  オバマ政権に早期の米朝協議を求め、六カ国協議でも主導権を握ろうという思惑もあるに違いない。  しかし、北東アジアの平和への挑発行為を許すわけにはいかない。  国連安保理で毅然(きぜん)とした制裁決議を行うべきだ。  中国の思想家、荀子(じゅんし)に「君は舟なり、庶民は水なり、水はすなわち舟を載せ、水はすなわち舟を覆す」という言葉がある。  為政者が学ぶべき教えだろう。

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2009年4月 4日 (土)

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 美波町の住民は息子に嫁を迎えるような気持ちではないだろうか。  同町を舞台に九月から放送されるNHK朝の連続テレビ小説「ウェルかめ」のヒロインが決まった。  倉科(くらしな)カナさん、二十一歳。  明るい光に満ちた県南にぴったりの、笑顔がまぶしい娘さんだ。  千七百人余の応募の中から選ばれたという。  海のようなおおらかさと、生まれたての子ガメのようなフレッシュさが決め手になったらしい。  演じるのは、美波町生まれのヒロイン・浜本波美(なみ)役。  女性誌の編集者を目指して上京するが、リストラされ、徳島市の出版社に再就職する。  古里と向き合い、力強く生きるヒロインの青春が、明るくコミカルに描かれる。  さまざまな出会いや挫折を繰り返しながら成長するその姿は、大海原を旅して、生まれ故郷の浜を目指すウミガメさながら。  つまずいてばかりだけど、人生捨てたもんじゃない。  ドラマにはそんなメッセージが込められる。  熊本県生まれの倉科さん。  徳島にはまだ一度も来たことがなく、阿波弁も聞いたことがないという。  九日から二日間来県して、大浜海岸や日和佐うみがめ博物館カレッタなどを訪れる予定らしい。  阿波弁も嫌というほど聞くだろう。  「スダチなどの名産物を食べて、徳島で育った子のようになりたい。阿波踊りも楽しみ」という倉科さん。  県民挙げて「ウェルかめ」で盛り上げて欲しい。

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2009年4月 3日 (金)

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 最近、道路に〝若葉〟が増えてきたように感じる。  といっても街路樹ではなく、自動車運転の初心者マークのこと。  新しく社会人となって、マイカー通勤を始めた人が多いのだろう。  初心者ならではの規制速度をしっかり守った運転は、ちょっとたどたどしくもある。  これをほほえましいと見るか、いらいらすると感じるか。  誰もが最初はそうだったと思えば、少し待ってやろうという気持ちにもなるだろう。  逆に慎重さを、見習っても良いのではないだろうか。  規制速度は都道府県公安委員会が定めているが、その決定方法が見直されることになった。  市街地かどうかや車線数、歩行者数など交通実態に応じたきめ細かい基準を、警察庁が新設する。  一般道路でもバイパスや立体交差など安全が確保される場合は、法定最高速度の六十キロを超える八十キロの設定もありうるという。  もっとも、規制速度は上がるだけではない。  地域住民が日常生活に使う身近な道路では、三十キロ以下の規制も登場するそうだ。  これなら歩行者や自転車にも安全ではないだろうか。  めりはりの利いた規制は、円滑な交通と事故対策にもなるだろう。  ただ、忘れてならないのが自動車は〝走る凶器〟の側面も持つこと。  初心者マークのドライバーもしばらくすると緊張感を失い、ついスピードを出しひやっとする場面に出くわす。  そんなときは〝若葉のころ〟を思い出して欲しい。

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2009年4月 2日 (木)

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 広辞苑には載っていないが、世に「割り勘負け」という言葉がある。  例の高速道路料金値下げで、ふと頭に浮かんだ。  値下げが始まった先週末は渋滞が起きたところもあったようだ。  やはり春の行楽気分をいや増すのだろう。  利用者には好評のようだが、気になったのは「ありがたい」という感想。  念のため、これは別に高速道路会社が大盤振る舞いしてくれたわけではない。  値下げ分は国民の税金で補てんされる。  一般に、税金は社会全体の問題解決に使われるので、個人レベルで、負担と受益の比率をどうこうはできない。  しかし、この値下げの場合は、割り勘で飲むようなものだ。  飲めば飲むほど、いや走れば走るほど受益の比率を上げられる。  「土日休日上限千円」と「平日昼間三割引き」を二年間実施するために使う税金は五千億円という。  つまり、単純に人口で割れば一人頭、割引額がざっと四千円分強になるまでは走らないと「割り勘負け」する勘定になる。  そうはしたくないのが人情だが、だからって無理して飲む、いや走るというのも…。  まして、CO2を減らそうという時代だ。  そもそも、車やETCのない人には受益ゼロでは、一滴も飲めない友に割り勘を強要しているようなものではないだろうか。  何にせよ、定額給付金に続き、集めた税金をばらまき「まず楽しもう」の施策ではある。  何となく後の支払いが心配だ。

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2009年4月 1日 (水)

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 四月は出会いの季節だ。  職場や学校に、初々しい笑顔が並ぶのだろう。  新しい人を迎える式典で、かつて聞いた言葉を思い出している。  混雑した、例えば駅の通路や建物の入り口に、扉がある。  行き来が多いから、扉は順繰りで誰かが開けているはずだ。  このとき「進んで扉を支える人であってほしい」。  そんな、わかりやすい内容だった。  考えてみれば、あれは一種の共同作業だ。  前の人が扉を押さえている。  自分も次の何秒か、同じ役割を担う。  面倒だからとすり抜ければ、扉は勢いをつけて閉まってゆく。  後の人に負担がかかる。  あの場で、立ち居ふるまいの美しさに触れることがある。  先を歩く人が、手を離す前「迷惑ではないですか」とばかりに振り返る。  乳母車を押す人やお年寄りはいないかと、さりげなく確かめる。  そんな姿を見るとほっとする。  扉の話は応用範囲が広い。  人の世には、気づきにくい共同作業が多くある。  仲間と仕事を進めるため、自分が支えるべき扉を見つけられるか、すり抜けてしまうか。  背後にいて見えない人の立場に、配慮できているか。  ささやかなことだが、世が他者への配慮に満ちてゆけば、空気は明るくなるだろう。  人と人とのつながりを思ううちに、大きく過去や未来を考える機会も増えてくるだろう。  新たに歩き出す人々に、手始めとして、雑踏の中の扉を意識することをお勧めしたい。

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